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 日本大学通信教育部・経済学部・経済学科 
倫理学概論    

 

 

科目コード:0533

教職課程教科
専門教育科目

更新日 : 2009/06/15

 提出したリポート、頂いた講評、科目修得試験に出題されそうなポイントなどを掲載してあります。

 


 おことわり
☆ 特に断りがない報告課題は、「平成17・18年度報告課題」(有効期限2005年3月1日〜2007年3月31日)です。
☆ 「科目修得試験に出題されそうなポイント」は、あくまで森野個人が学習する際に分析したものです。
☆ 内容についてのお尋ねはご遠慮下さい。
  1. リポート分冊1
  2. リポート分冊2
  3. 科目修得試験に出題されそうなポイント new
  4.  
 
リポート分冊1

課題 ヒューマニズムと主体的自覚の関係を倫理学的に述べよ

 倫理学的にみて主体的自覚には次の三点が含まれていなくてはならない。自己誠実、ヒューマニズム、組織をもつ、である。この三点のどれか一つを欠いても他の二つは意味がなくなってしまう。この三点のうち最大の目標は、ヒューマニズムである。なぜならヒューマニズムという人間尊重の精神は、人間一般というような抽象的なことでなく、私自身すなわち主体を尊重することである。つまり私の責任において私の行動の結果が人類を正しい方向に推しすすめようと努力することである。ヒューマニズムを求めるためには主体が人間関係を必要とする。

 主体的自覚をもって倫理的実践を行おうとするとき、その妨げになるのは身体と他人である。ことに他人にみられているとき、自らの身体が他人を意識して自らの意志に反して身構えてしまう。これを「対他存在」とよぶ。しかも主体的自覚が深まるほど他人が強く意識される。自分について自覚し、自分のやったことに責任を持とうとすれば、世界のなかに存在している自己の本質に目覚め(対自)、他人を意識してしまう。

 つまり他人によって、自らの意識の内部では自らの主体性を疎外することになってしまう。疎外とは他人からくる主体拒否の動きのことである。他人が積極的に対自の主体性を疎外しようとしないにもかかわらず、自らが主体的自覚によって他人のまなざしを意識しているなら、解決のしようがない。しかし他人が積極的に私の主体を疎外しようと意図している場合、身体(概念としての私)と意識(極としての我)が反発・抵抗してしまう。したがって、他人の疎外しようとする働きかけをやめさせる努力をしなくてはならない。

 このような働きかけに対して、意識も身体もふくめ、他人からの疎外を拒否することが必要である。真の主体・自由・人間性が約束される世界をつくることである。主体を疎外する他人をゆるしたり妥協したりすることは、他人によって疎外されている自己の実態から目をそらす「自己欺瞞」となってしまう。どこまでも自己に対して忠実に主体性をまもりぬく「自己誠実」が必要となってくる。自己の主体を疎外する他人に反抗するヒューマニズムが「自己誠実」な行動の具体的な内容である。

 ここで即自が全く新しい現実をもってくる。客観的に即自をみると他人とからみあっていない即自は考えられない。自分から自分のためにあえて本質主義者(ろくでなし)になって客観的にみようとしないと、他人を含む即自があらわれてこない。

 つまり他人という世界を問題とするには、一度主体を客体化し、疎外に対決する主体の働きを中止しなくてはならないのだ。

 さて次に、他人からの主体疎外とどのようにして対決していけばいいのかという問題が残る。そのために必要なものが組織と理性である。

 理性とは主体疎外を生む世界に対して客観的に見通しをつけ、私に対する意義・意味を統一するためのものである。つまり主体を客観化して、主体疎外が生じる歴史的や社会的原因を一定の客観的法則としてとらえ、全体を見通すには理性を持ち原的意識(習俗)を媒介に社会全体を統一像としてとらえなくてはならない。

 しかし、現代のように社会の動きが統制的になってくると個人の力では、客観的見通しと主体の能力を比較計量することは困難である。なぜなら習俗の背景にある社会全体に力が及ばないため、次々に主体疎外が現れてくる。そのために必要となってくるのが、組織である。

 組織とは、人間がヒューマニズムを実現するために一定の人間関係を結びその人間関係を信頼して自己の持分を遂行することである。人間関係を結ぶ人間は自己の目的であるヒューマニズムを実現するために、主体の自由を組織のなかに埋没させ組織の束縛を甘受する。しかし主体的自由の一部を組織に委任しても、主体が疎外されることはない。それは組織が主体疎外の回復という目的のためのものだからである。むしろ主体を真にいかす道と考えてもよい。組織内他人が、本来なら自己が行うべきヒューマニズムを実現するための投企を代行してくれるのだから。

 注意すべきは、他人がいるからといってもそれは主体疎外の加害者としての他人ではないことである。さらにいうなら組織内主体からみれば、他人は主体面に組み入れられると考えてよい。私の存在理由とはヒューマニズムを実現することであり、それを代行してくれる他人は、自己の主体と同じだと考えてよい。

 

講評

 サルトルを中心とした展開はよくわかりますが、自己誠実についての論述は?

リポート分冊2

課題 倫理学の立場から理想的社会像(政治と経済)を描け

 現代の社会は機能を中心とした第二次的集団である。様々な機能のうち、社会のあらゆる面を動かしているのは経済と政治の二つである。しかし現代において経済も政治も主体疎外の方向に働いている。

 経済には様々な固有な客観的法則がある。このため目的(全人的ヒューマニズムの実現)と手段が乖離しがちである。そもそも人間はより人間らしい生活を実現する手段として経済を考えていた。しかし経済が高度に発達するにつれて、システム化や抽象化が進み、目的が見えにくくなってしまった。システム=客観的法則に従うことだけの経済行為となり、主体による理想の追求がなされなくなってしまうのだ。

 なぜなら、経済活動は対他的側面を持つからである。他人を犠牲にする位の気持ちがなければ(実際に犠牲が出るかは別にしても)自己の生活水準を高める活動にはならない。これは他人の主体を疎外する結果となる。そして他人を疎外することは自己を疎外することでもある。なぜなら真の主体とは人類全体への責任を含むが、それに対する自覚がないのである。また活動性のみを唯一の原理として、目的から手段を分離し手段のメカニズムの中に埋没させてしまう。このことは目的を自覚しない主体疎外である。

 とはいっても、我々は今さら原始経済に戻るわけにはいかない。資本主義経済における自己疎外を資本主義の持つ固有の法則にしたがって克服する必要があるのだ。

 政治をつくる契機には「心理的契機」「論理的契機」「倫理的契機」の三つがあるとされる。「心理的契機」があるということは、人間の主体的・意識的活動としての権力欲が存在するということである。これは客観的法則に従う経済行為と比べて大きな特徴である。つまり政治は経済より主体的・人工的性格が強く、非合理制が生まれやすい。

 近代になると政治は支配者個人の性向に左右されるものから「法律による」「没主観的」な支配の形に変わった。とくに「論理的契機」は近代社会の中心である経済を対象とするので資本主義経済固有の法則にしたがって政治が行われる。つまり「論理的契機」に関して権力が振るえなくなってしまう。政治行為と権力欲が分離してしまうのだ。

 ではどのようにして、自覚的主体に基づく倫理すなわち人倫を、現代社会の基礎的機能である政治と経済に対し考えたらよいのだろうか。

 第一は主体に対して自覚を持つことである。自己を自覚することは、自己からの投企について自己で責任を取るという、投企・選択(主体)の対象となる世界(経済・政治を中心にした機能集団)に対して自覚することである。つまり世界のなかにある自己について自覚することである。悪い意味での観念論や悪い意味での唯物論に陥ってはいけない。

 第二は組織を必要とすることである。経済・政治を中心にした機能集団に対応して、機能的に主体から組織がつくられる。このとき血縁的共同体や地縁的共同体からくる性格を入れてはならない。なぜなら依頼心が生まれたり、派閥が構成されて(親分-子分関係からなる人的派閥)、理論的派閥と対立するからである。これでは組織が分裂の危機を孕んでしまう。

 依頼心・人的派閥のない組織にするためには、一人一人の構成員が主体に対して十分に自覚し、自己のためにのみ組織をつくり、組織内他人は自己の分身に他ならない、と考えることが大切である。民主主義的中央集権も必要である。そして主体疎外を克服しようと活動をするにはまず、もっとも主体疎外の実感がはげしい現象と対決していくことが必要である。

 さて、これらを念頭においてどのような政治と経済の形を作っていけばよいのだろうか。

 まず、権力欲と政治・政策の実質の分離を是正することである。つまり経済固有の法則を人為的にどう管理するのかということである。それには、資本・経営を媒介にして生産・労働が市場・商品と結びつくところに問題があるので、主体疎外をうけている労働を自己目的にかえることが大切である。つまり、人間対人間の関係(労働・生産を市場・商品に直結させる)をつくるのである。

 さらには、経済に政治性をもたせることも必要である。このとき、人間を労働や経営などの職能に分化することはよいが、職能を人間と同一視してはならない。官僚制や労働貴族を生む元となってしまう。それを防ぐためには、政治を行う人間は絶えず一般大衆と接触していなくてはならない。人間対人間の関係を維持するための、政治・政策を行うために必要なことである。

 

講評

 経済に政治性をもたせると統制経済となってしまうがその功罪も考えてください。

 

 スクーリングを受講し「スクーリング試験」で所定単位を修得したので、「科目修得試験」は受験していません。(^^;) 

 

 講義テーマ 「正邪善悪」と「幸福」について考える  担当者  嘉吉 純夫  (敬称略)
 講堂 法学部 本館  受講者数 約80名  夏期 前期 午後
スクーリングのノート (pdf ファイルです。)
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