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日本大学通信教育部・経済学部・経済学科 |
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科目コード:0984 |
教職課程教科 |
更新日 : 2007/09/16 |
提出したリポート、頂いた講評、科目修得試験に出題されそうなポイントなどを掲載してあります。 |
おことわり |
☆ 特に断りがない報告課題は、「平成17・18年度報告課題」(有効期限2005年3月1日〜2007年3月31日)です。 |
☆ 「科目修得試験に出題されそうなポイント」は、あくまで森野個人が学習する際に分析したものです。 |
☆ 内容についてのお尋ねはご遠慮下さい。 |
課題 通信教育部教材69頁の上から15行目〜16行目に記述されている「それは具
体的妥当性(あるいは正義)を犠牲にして、法的安定性に奉仕する。」という
文章を解説せよ。
<@学習指導書を活用のこと。A通信教育部教材7頁〜79頁を読みこなして
から、リポートを作成すること。>
法が社会に生きたものとして行われるためには、それが一般人の常識とかけ離れたものであってはならない。現代のような複雑な社会構造にあっては、それを規律する法もまた、きわめて技術的専門的になり、素人の常識では正しく把握できない規則も増加せざるをえない。しかし、技術的な面をもっている法でも、常識で納得できないような運用や解釈が行われるならば、社会生活の規範としては不完全なものとなってしまう。 法の解釈は、法規をたんなる客観的存在としてその意味を明らかにするにとどまらず、社会統制のための規範として、その規範的意味を明らかにするものである。条文の解釈は価値判断が介入するが故に複数可能であり、唯一絶対の正しい解釈があるわけではない。したがって私たちは妥当な解釈、言いかえれば正当な解釈を裁判に求めることになる。 しかも、法規は必ずしも起こりうるすべての場合を予想して作られるものでなく、また予想もできなかったような新しい事態も生じてくる。多種多様な社会的事実について、その法的結果を十分に予測することは困難である。つまり法の欠缺が存在するのである。したがって法規はあくまで一般原則を示したものにすぎず、裁判で争われるものは原則からはずれたような事件である、と考えられる。裁判官は事件の具体的事実のなかから妥当な解決を見いだしていかねばならない。 だが、判断の基準がなければ裁判は恣意的となり、予測可能性を持たず法的安定性を欠くことになる。したがって近代国家、こと資本主義社会においては近代的な法典の編纂が行われ、裁判官は法規に従って裁判しなくてはならないものとされた。 19世紀のドイツ法学を支配していた概念法学ではこの点が特に強調されていた。すなわち、一、裁判官は、定められた法に厳格に従って判断しなければならない。二、法規の解釈は、文字と論理の操作によって法規の唯一の正しい意味を明らかにするものである。三、法は全体として完結性をもち、欠缺はない。と考えられていたのである。したがって裁判官が認定した事実に対して法規を適用すれば、三段論法によって結論がでてくると概念法学では考えられた。その結果でてきた結論が、事件に妥当であろうがなかろうが、それは問題ではない。なぜなら法がそうなっているのだから、というのである。 このように、法の解釈・適用上の理想として、法的安定性と具体的妥当性の両者がある。法的安定性とは、一般的確実性とも言い、法の解釈・適用上に例外を認めないとする考え方である。具体的妥当性とは、逆に法の解釈・適用上に例外を認めるという考え方である。したがってこの両者の調和点を見いだすことが、法の妥当な解釈・適用である。 つまり、「具体的妥当性を犠牲にして法的安定性に奉仕する」とは、人々の目から見れば、法が具体的事実を見ずに法だけの世界に閉じこもり、紛争や事件を妥当に解決するという、裁判に対する社会からの要請を放棄している姿に映る。 ここで、航空機が墜落して地上の第三者が損害をうけた場合(航空機事故による損害賠償請求訴訟)を考えてみる。民法 709条の過失責任の原則を機械的に適用した場合、加害者(被告)の過失については被害者(原告)が挙証責任を負う。つまり過失の立証を原告ができなければ原告が敗訴することになる。しかし、複雑・高度の科学技術を駆使して製造、飛行、運用されている航空機の場合、被害者(原告)に航空機に対するそれ相当の知識がなければ、加害者(被告)の過失を立証することは不可能に近い。航空機に対するそれ相当の知識を持っている人はごく限られているだろうから、概念法学の考え方、つまり法的安定性を優先すれば、被害者である原告が敗訴することになる。だがこの結論は妥当だろうか?。 航空機が墜落した場合、多くの人的物的損害が生じることは容易に想像できる。しかし過失責任の原則を機械的に適用した場合、ほとんどの場合被害者は法によって救済されないことになってしまう。これでは法的紛争の合理的処理を通じて社会の利害を妥当に調整する、という法的統制の目的からはずれてしまう。つまりこの結論は、まさに「具体的妥当性を犠牲にして、法的安定性に奉仕している。」例と考えられるのである。 |
講評
テキストは「具体的妥当性(あるいは正義)」としているが、この「(あるいは正義)」を無視して答えているのは正解です。けだし「具体的妥当性=正義」ではありませんからね。 |
課題 民法第1条ノ3の規定と財産法の基本原則。
<通信教育部教材の81頁〜222頁を読みこなしてから、リポートを作成すること。>
財産権の基本原則は人格の自由、所有権の自由、契約の自由の3つがあげられる。これに過失責任の原則を加えることもある。 さて、民法第1条ノ3は「私権の享有は出生に始まる」と定めている。「私権の享有」とは、私法上の権利義務の主体となる資格という意味で、言い換えれば、「人は生まれながらに権利や義務を持つことができる能力(権利能力)を持っている」ということである。これは人の権利能力には出生すること以外に条件が存在しないことを示しており、つまり権利能力を持っていない人はいないということでもある。これを権利能力平等の原則といい、財産権の基本原則である「人格の自由」につながるものである。 ただし取引による利害得失などを判断する能力が十分でないと思われる者は制限能力者として一定の保護(制限)が与えられている。なお、制限能力者とは行為能力が制限されている者という意味であり、行為能力とは単独で有効な法律行為(契約の締結など)を行う能力である。「行為能力は課題外のこと。」と朱筆されました。 制限能力者には、未成年者(我が国の場合 20歳未満の者)、成年被後見人(精神上の障害により通常判断能力を欠く状態にあり、家庭裁判所による後見開始の審判を受けた者)、被保佐人(精神上の障害により判断能力が著しく不十分で、家庭裁判所による保佐開始の審判を受けた者)、被補助人(精神上の障害により判断能力が不十分で、家庭裁判所による補助開始の審判を受けた者)が含まれる。なおいずれの場合でも人とは、個人(自然人)を指す。このほかに権利の主体となれる法人がある。法人になる資格は法律の規定によると定められている。 さて私法上の権利義務とはどのようなものがあるのだろうか。例をあげると、売買契約の売り主・買い主、賃貸借契約や消費貸借契約で貸し主・借り主となるなど各種債権関係における契約の権利者(債権者)・義務者(債務者)となる資格、あるいは売買契約で得た土地(不動産)や自動車(動産)の所有者(所有権者)となる資格などがあげられる。 まず、債権は他人に対して金銭の支払いや物のしようを請求する権利など一定の行為を請求できる権利である。債権関係はもともと債権者と債務者の間だけの関係なので、当事者同士の合意があればその内容を自由に決めることができる。さらに契約による債権関係については当事者自らの自由な意思に任されるべきであり、国家は一般的にこれに干渉すべきではないと考えられた。これを「契約の自由」(契約自由の原則)という。 契約の自由の内容として、契約締結の自由、契約内容の自由、相手方選択の自由、契約方式の自由があげられる。なお、契約自由の原則には、自らの自由意思で結んだ契約は守らなければならないという責任がともなう。 しかし契約の自由には限界がある。契約の自由は自由主義経済思想に対応するものである。しかし資本主義の高度化・独占化が進むに従って、経済的強者・弱者が発生し、形式的な自由の保証は経済的な強者の弱者に対する支配をもたらすこととなった。そのため、現在では労働法や借地借家法など、強者の自由を抑えて弱者の実質的な自由を確保しようとする強行規定が存在する。強行規定に反する契約は当然無効とされる。また当然であるが、法の理想とする公の秩序や善良の風俗(公序良俗)に反する事項を契約しても無効である。 また債権の発生原因として、契約以外に不法行為があげられる。不法行為とはある者が他人の権利ないし利益を違法に侵害することである。不法行為の結果他人に損害を与えた場合、加害者に故意・過失がある場合に限り加害者はその損害を賠償する責任を負う。これを「過失責任の原則」という。この原則は契約を締結したにもかかわらず一方の当事者がこれを守らない、という「債務不履行」についてもあてはまる。これは、故意・過失がない限り人は自由に活動できる、ということでもあり、「契約の自由」に基づく取引活動の自由と表裏一体をなすものである。 ただし「製造物責任法」のように、製造者が無過失でも損害賠償の責任を負う、と特別法により定められているものもある。 次に、所有権は不動産や動産を直接に支配する物権の中心となるものである。所有権者は法令の制限内(例えば憲法 29条2項「公共の福祉に適合するやう」)において所有物をそれ以外なんらの封建的・人為的拘束を受けずに自由に使用・収益・処分することができる。これを「所有権の自由」という。そもそも自分の所有する財産(物)を自由に処分する権限がなければ、契約の自由に基づく資本主義的取引も大きく制限を受けてしまう。このように「所有権の自由」が取引の客体として、「契約の自由」は取引の手段としてそれぞれ重要な意味を持っている。 |
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講評
課題は「権利能力の平等(人格の自由)と、所有権の自由、契約の自由および過失責任の原則との関係」ですね。(2005年)4月1日からは、「民法第1条ノ3」は「民法第3条第1項」になりました。テキストも改訂しておいて下さい。( ) 内は森野注 |
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