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 日本大学通信教育部・経済学部・経済学科 
地誌学    

 

 

科目コード:0967

教職課程教科
専門教育科目

更新日 : 2007/09/16

 提出したリポート、頂いた講評、科目修得試験に出題されそうなポイントなどを掲載してあります。

 


 おことわり
☆ 特に断りがない報告課題は、「平成17・18年度報告課題」(有効期限2005年3月1日〜2007年3月31日)です。
☆ 「科目修得試験に出題されそうなポイント」は、あくまで森野個人が学習する際に分析したものです。
☆ 内容についてのお尋ねはご遠慮下さい。
  1. リポート分冊1
  2. リポート分冊2
  3. 科目修得試験に出題されそうなポイント
  4.  
 
リポート分冊1

課題 オーストラリアは、近年、経済的に大きな変化を遂げている。そこで、最近
   の実態に関して、国内事情や海外諸国と結びつき等から説明せよ。あくまで
   地理的な説明であること。(参考文献を明示すること。ホームページからの引
   用は不可。)

 オーストラリア経済は長い間、羊毛を中心とする農牧畜業と、資本及び工業製品における対イギリス依存がその特徴であった。

 1960年以降、世界的な資源不足を背景に内陸部で大規模な資源の開発、採掘が進められた。鉄鉱石、石油、天然ガス、ニッケル、ボーキサイト、ウラン鉱脈などほとんどの主要資源が産出、企業化され、資源開発ブームを迎えた。1970年代にはいるとアラブ産油国を中心にした資源覇権主義が台頭、資源大国となったオーストラリアの立場にも影響を与えた。すなわち、資源を生かし産業構造を転換して国際競争力を高めようという試みが始まったのである。1980年代以降オーストラリアはASEAN自由貿易地域との連帯を積極的に進めてきた。しかし、90年代に入りアメリカ、EUが余剰農作物の補助金付き輸出を積極的に推し進めたこともあって、農作物の国際市場価格が下落した。その結果オーストラリアは著しい構造的経済不況に陥った。そこで1993GATTウルグアイラウンドにおいて、オーストラリアは農産物貿易の自由化を積極的に進める方向に指導力を発揮し、一定程度の成果をあげることに成功した。

 近年、政府はこうした一次産品の輸出に大きく依存する経済基盤の脆弱性を痛感し、付加価値の高い工業製品の開発、輸出市場の多様化に努めている。その結果輸送機器、レジャースポーツ用品、アルミニウム合金、セラミックス、医療機器といった高次加工製品の輸出シェアが伸びつつある。

 輸出先は、2002年では日本、韓国、中国の合計で33.7%を占めており、輸入先はEU、アメリカ、日本、中国が中心であり、これらの地域だけで63.7%を占める。

 現在国内総生産に占める各産業部門での比率は2001年では第三次産業が64.2%、製造業が10.7%、鉱業4.8%、農林水産業3.5%となっている。しかし輸出額の上位5品目は順に石炭、機械類(輸送、精密を除く)、原油、肉類、鉄鉱石となっており依然として鉱産品、農牧畜産品が最も重要な外貨獲得源となっている。逆に輸入額の上位5品目は順に機械類、自動車、原油、医薬品、精密機械となっている。

 このように貿易の基本構造としては、鉄鉱石、ボーキサイト、ウラン、石炭、羊毛、酪農品など一次産品を輸出し、工業製品を輸入する姿に大きな変化はない。

 鉱物資源の状況をみると、鉱物資源が輸出総額に占める割合は1964/65年度はわずかに5.2%を占めるにすぎなかったが、85/86年度には40.6%に達している。これに伴い、経済の体質も強化され貿易相手国もイギリスに変わってアメリカ、日本が重要な位置を示し始めた。オーストラリアの対日貿易が全輸出に占める割合は1950/51年度はわずか6.3%だった。しかし2002年には18.5%に達し、日本は国別輸出先の一位である。この数字は二位アメリカの9.6%のほぼ二倍にあたり、イギリスに対する割合が1950/51年度32.7%から20024.6%へ大きく減少したのと好対照である。

 石油は86年に一時輸出が禁止されたが、外貨獲得のため再開された。石炭は高品質、露天掘りという恵まれた条件から重要な外貨獲得源となっている。2000年の生産量は2億4千万トン、輸出量は1億8千万トンである。現在確認されている可採埋蔵量は425億トンで全世界に占める割合は8.2%である。ウランは確認埋蔵量69.7万トンで全世界に占める割合は21.9%に相当する。2000年の生産量は7579トンである。

 第二次、第三次産業の発展により農業の相対的地位は低下している。オーストラリアの降水量は海岸から内陸部に向けて同心円状に減少し、しかも内陸に行くほど変動度が激しく、年平均値の信頼度が低下する。恒常的に地表水がみられる地域は海岸地帯に限られる。そのため、農業は東沿岸部の各州ならびにサウスオーストラリア州が中心である。小麦、サトウキビ、果物が大部分を占めている。小麦の主要生産国であるが、世界で最も乾燥した大陸といわれるだけに、収穫は牧畜業と同様にその年の降水量に大きく左右され、干ばつによる記録的な凶作だった2002年は1006万トン、翌2003年は2490万トン(全世界の生産高の4.5%で第6位)と大きく変動する。また、羊毛・食肉産業も世界の主要輸出国の一つであるが、相手国の好不況の波に大きく影響される。ちなみに2002年の羊毛の輸出量は29万トンで全世界に占める割合の44.1%である。

 なお、文中の統計資料のうち2000年以降のものは、世界国勢図会2004/05年版から、それ以外のものはオセアニアを知る事典(新訂増補)からの引用である。

 

参考文献
『オセアニアを知る事典』 (新訂増補) 平凡社
『世界国勢図会2004/05年版』 矢野恒太記念会 編 (財)矢野恒太記念会

 

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    世界国勢図会 2007/08年版―世界がわかるデータブック (2007)

 

講評

 この国にとって対外的なことを考えると、地下資源or農業のどちらが大きな力をもつのか。

リポート分冊2

課題 アメリカ先住民(アメリカインディアン)に関して、今日の少数民族の一
   員としての状況を、その生活実態や居留地の状況に関して、学術的に解説する
   こと。(参考文献を明記すること。)

 アメリカ先住民(アメリカインディアン)はアメリカ社会における少数民族のなかでもさらに少数である。彼らは数百にも及ぶ部族に分かれていて、その多くが保留地を持っている。保留地の中では連邦政府の監督の下で部族政府を構成していて、連邦政府が承認する様々な権利(例えばカジノを開設する権利など)を持っている。現在、連邦政府はアメリカインディアンの自治を認め、伝統に基づく社会の維持と地域社会活動に協力している形を取っている。しかし彼らは先住民であるがゆえに他のエスニック集団と異なる問題を抱えてきた。

 もともとアメリカ先住民は小単位の部族に分かれて多様な言語と文化を持って生活していた。彼らは概して狩猟が生活の重要な要素を占め、農耕を営む場合でも大規模な社会をつくることをしなかった。このような生活様式から白人植民者はアメリカ先住民を労働力として積極的に利用する事ができなかった。白人入植者たちは交渉や条約、戦闘などによってアメリカ先住民たちをもともと住んでいた地域から追い出し、自分たちにとって利用価値の少ない土地(保留地)へと追いやった。その結果アメリカ先住民たちは旧来の生活圏とその生活基盤の急速な喪失により連邦政府による援助によって細々と生活することを余儀なくされた。

 このように、インディアンの経済は長い間アメリカ主流経済から切り離された状態で営まれてきた。彼らは保留地に押し込められ、伝統的経済生活の持続は困難になった。1953年から保留地を順次廃止してアメリカ先住民を他のアメリカ人同様に扱うようにしよう、という動きが起こった。この連邦政府の終結政策及びそれに含まれた移転計画は保留地住民の都市への移動を促進したが、彼らは教育的・職業的に都市で生活するための十分な準備ができていなかった。このため移住させられた多くのインディアンが都市に不適合を起こすとともに極度の貧困状態に追いやられた。

 1950年代から60年代にかけてアフリカ系アメリカ人を中心に展開された公民権運動(市民的権利運動)は64年の公民権法(市民的権利法)の制定という成果をもたらした。公民権法は、市民としての生活上の諸権利について人種差別を禁じ、人種共学の推進を規定し、雇用における「人種、皮膚の色、性別、祖先の出身地」による差別を禁じた。このように公民権法は対象をアフリカ系アメリカ人に限定したものではなかった。つまりアフリカ系アメリカ人を中心とする公民権運動が他の少数民族の地位向上に大きな貢献をしたのである。権利を主張するアフリカ系アメリカ人らに刺激されたアメリカインディアン諸部族もまた、同じような運動を展開した。彼らの権利主張の根拠はアメリカ市民として憲法に基づくものであったが、他のエスニック集団と異なる大きな特徴は各部族が連邦政府と交わした古い条約の確認を求めた事にある。この運動は1960年代後半から70年代前半にかけて活発化し、1969年アルカトラズ占拠、72年インディアン局占拠など象徴的な事件も起きた。

 近年、観光や地下資源によって経済的に生活を向上させる機会をつかんだ保留地もみられるようになった。ホワイトマウンテンのアパッチ族のように州最大のスキーリゾートを経営したり、オクラホマのチェロキー族のようにエレクトロニクス工場を経営して、製品を国防省に納入し収益を上げたりする例がみられる。しかし経済的な活動が盛んになりながら依然として貧しい生活を強いられている例も少なくない。

 例えば、最大規模の保留地を持つナヴァホは、ジェネラル・ダイナミクス社のミサイル契約からコカコーラの瓶詰め工場、日本への輸出用のシイタケ栽培なども手がけている。だが、彼らの約半分は職がなく、電気が引かれていない家がまだまだ多いといった状態である。成功しているのは一部の居留地で、大半は貧困の状態に置かれたままである。

 また地下資源開発に伴う公害や利権に伴う土地争いなどが生じている保留地(ナヴァホ-ホピ土地争い)もある。

 これは、多くの保留地が交通のアクセスが悪い辺境に位置していること、部族単位で分かれていて人口規模が小さいこと、事業資金が十分でないこと、部族の文化価値と経済開発のバランスが取りにくいこと、などが原因にあげられている。

 

参考文献
『エスニック状況の現在』 有賀 貞 編 日本国際問題研究所

 

広告 エスニック状況の現在
    アメリカ人種差別の歴史
    アメリカの歴史―テーマで読む多文化社会の夢と現実 (有斐閣アルマ)
    ネイティヴ・アメリカン―写真で綴る北アメリカ先住民史

 

講評

 後半のNAVAPO VS HOPI の対立だけでも調べると深いことがらにつき当る。

科目修得試験に出題されそうなポイント

 


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