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 日本大学通信教育部・経済学部・経済学科 
日本史概説    

 

 

科目コード:0621

教職課程教科
専門教育科目

更新日 : 2009/06/16

 提出したリポート、頂いた講評、科目修得試験に出題されそうなポイントなどを掲載してあります。

 


 おことわり
☆ 特に断りがない報告課題は、「平成17・18年度報告課題」(有効期限2005年3月1日〜2007年3月31日)です。
☆ 「科目修得試験に出題されそうなポイント」は、あくまで森野個人が学習する際に分析したものです。
☆ 内容についてのお尋ねはご遠慮下さい。
  1. リポート分冊1
  2. リポート分冊2
  3. 科目修得試験に出題されそうなポイント new
  4.  
 
リポート分冊1

課題 一 飛鳥文化から平安時代末期の文化まで、それぞれ(1)大
     陸文化との関連、(2)仏教の特色、(3)代表的な文化財な
     どに言及しながら、その特色について述べなさい。

 飛鳥文化は古墳時代の文化に百済、高句麗などをつうじて伝えられた中国南北朝時代の文化の影響が加わって生まれた。仏教が百済から伝わり、朝廷の保護を受けると諸氏もきそって氏寺を造り、蘇我氏の発願による飛鳥寺や、法隆寺の前身である斑鳩寺などが造られた。法隆寺釈迦三尊像や玉虫厨子、広隆寺半跏思惟像、中宮寺の天寿国繍帳などに日本最初の仏教文化の面影を知ることができる。

 白鳳文化は天武・持統朝から平城遷都までの律令国家建設期にあたる時代の文化でありやはり仏教がその中軸を占めている。大官大寺・薬師寺など官立大寺院の建立や護国法会など、仏教は律令国家を宗教的に支えるようになった。白鳳美術は隋・唐との交渉による中国文化の直接流入の影響を受け、興福寺仏頭や薬師寺金堂の薬師三尊像、法隆寺金堂壁画など国際文化の摂取を示す例が多い。

 天平文化は唐をはじめ世界各地の文化の影響をうけ、国際色豊かな性格を持つ仏教的色彩の濃い文化である。国分寺建立や東大寺大仏造顕に代表されるように、仏教は「鎮護国家」を標榜し、政治との結びつきはより強固なものになった。法隆寺伝法堂や東大寺法華堂・転害門、唐招提寺金堂など唐様式を受け入れながら風土に合った技法の選択がある。また興福寺八部衆像や東大寺法華堂の諸像のように写実的で表情豊かである。また中央集権国家の発展に伴い、国史や地誌の編纂が行われ古事記や日本書紀、風土記が編まれた。

 弘仁・貞観文化と呼ばれる平安初期の文化は朝廷での王権の伸張に伴い唐風の儀礼・学問が重んじられ、学問文学に強い影響を与えた。いわゆる「六国史」と呼ばれる国史や「凌雲集」など勅撰漢詩文集が編まれた。仏教界では最澄・空海によって天台・真言の両宗が開かれ密教が伝わるなど、大きな変革が起こった。室生寺金堂や五重塔が代表的な密教建築である。密教の影響を受け、重厚・神秘的で官能的な彫像として神護寺薬師如来像や教王護国寺講堂不動明王像などがある。

 十世紀前後、従来の大陸風文化を基礎としながら、自由に工夫を加えて日本の風土や人情・嗜好にかなった高度な貴族文化が現れた。これを国風文化と呼ぶ。年中行事の発達やかなの発達、「古今和歌集」や「源氏物語」など和歌や国文学の発展があげられる。仏教は現世利益を招くための作法として重んじられた。一方で阿弥陀仏を念じて死後極楽浄土へ生まれようとする浄土教が発生した。貴族は巨富を投じて阿弥陀堂を建て、浄土教美術が発展した。平等院鳳凰堂や寄木造で造られた阿弥陀如来像などが代表的である。

 平安末期は院政に代表されるように仏教と政治が密着した時代であった。また末法思想と結びついた浄土教が広く社会に受け入れられ地方へも広まった。中尊寺金色堂や白水阿弥陀堂など多数の阿弥陀堂が造営された。また当時の権力者であった上皇を中心として、今様や「年中行事絵巻」「信貴山縁起絵巻」など絵巻物が多数つくられた。

 

課題 二 鎌倉仏教とは、前代迄の仏教と比べてどのような違い
     があるかまず述べ、ついでそれ (鎌倉仏教)が諸君に関
     係ある地方にどのような展開を示したか、鎌倉と室町
     の両時代について、宗派別に述べよ。

 それまでの仏教はきびしい戒律や学問をつうじて仏になることが目標であった。また国家鎮護、あるいは寄進などを重要視し、加持祈祷などで現世利益をはかるなど、当時の支配層である貴族と強く結びつきその信仰を受けた。鎌倉仏教に共通する前代までの仏教との違いとは、念仏や禅、題目などすべての人に実行可能でその宗派によって選び取られた一つの道(易行)によってのみ、極楽往生など来世でのすくいにあずかることができると説いたことで、広く武士や庶民にも門戸を開いたことにある。

 浄土宗では鎌倉時代、勧進聖の活動で「鎌倉の大仏」が建てられた。また良忠が鎌倉大仏付近を拠点に活動し、庶民に法を説いた。室町時代には聖聡が武蔵に増上寺・伝通院を開き浄土宗の拠点とした。

 浄土真宗一向宗では鎌倉時代念仏道場を中心に積極的な布教が行われた。

 時宗では鎌倉時代、一遍が片瀬の浜で人々に念仏での救済を説いた。真教は無量光寺を建て布教を行った。室町時代には、歴代の遊行上人が晩年清浄光寺(遊行寺)に入り藤沢上人と呼ばれるなど、時宗の拠点となった。

 臨済宗では鎌倉時代、幕府に重用され円覚寺は幕府の祈祷所、寿福寺は関東における臨済宗の拠点となった。建長寺などを含むこれらの寺院は室町時代に「鎌倉五山」となる。

 曹洞宗では道元が北条時頼の招きで鎌倉に赴き、室町時代最乗寺の了庵恵明が曹洞宗の布教に努めた。また抜隊得勝は戒律を厳格に守ることで国土の安穏と五穀豊穣が保てると説き、津久井に庵を結んだ。

 日蓮宗では鎌倉時代、日蓮が名越を拠点に活動し「立正安国論」を著わした。室町時代、大山が法華経納経を行う聖地とされた。

 

参考文献
『日本歴史大系1巻・2巻』 井上光貞 他 山川出版
『神奈川県の歴史』 神崎彰利 他 山川出版

 

広告 古代文明の形成 日本歴史大系〔普及版〕 1
    律令国家の展開 日本歴史大系〔普及版〕 2
    貴族政治と武士 日本歴史大系〔普及版〕 3
    武家政権の形成 日本歴史大系〔普及版〕 4
    原始・古代 日本歴史大系 (1)
    中世 日本歴史大系 (2)
    神奈川県の歴史 (県史)

 

講評

 努力のあとがうかがえるレポートです。一・二ともによくまとまっており、概ね課題の用件を満たしています。さらに、自分なりの意見・考察等を盛り込むようにすると、より充実した内容になると思われます。

リポート分冊2

課題 一 近世封建社会の成立にとって、太閤検地・刀狩・天正
     十九年の法令がどのような意味 をもっていた政策か述べ
     なさい。

 豊臣政権は独自の経済的基礎を固めるため、検地を施行した。そしてすべての土地を面積でなく米の標準収穫量で表示する「石高制」が成立した。「石高制」は年貢・夫役を徴収する基準となったが、これによってその土地を支配する武士階級の家格の上下や、百姓も高持と水呑に分けられることになるなど、近世的な身分制社会が規定づけられた。

 この「太閤検地」によって、一筆ごとの耕地に耕作責任者が定められ、年貢納入義務が負わされる「一地一作人の原則」や長百姓が平百姓から小作料を徴収したり、夫役として使うことを禁止する「作合否定の原則」が導入された。これにより農民は耕作権は保証されたが、他領に転出することや耕作をやめて商人になるなどが禁止され、検地帳に記載された土地に縛りつけられた。

 また国人・土豪層も今までのように、先祖伝来の本領地を守りながら武装して農業経営にたずさわることが許されなくなった。つまり武士となって主君に随従するか、農民となって土着するかという選択を迫られたのである。したがって、検地に反対しようとする国人・土豪層の抵抗は強く、「太閤検地」の実施には大きな犠牲が払われた。

 この「兵農分離」をいっそう押し進めたのが、刀狩りである。諸国の百姓が武具を所有し帯刀することを禁じたのである。また、豊臣秀吉は寺社に対しても武装の禁止を指示している。中世の寺社は広大な所領を持ち、武具を蓄えていた。国人・土豪層は言うまでもない。国人・土豪層から百姓までを一体化した組織は、一揆という形で統一政権に敵対する可能性がある。一揆を停止させ、僧兵の反乱を防止し、新しい社会秩序を構築するため刀狩りは必要だった。

 さらに「兵農分離」を促進したのが、天正十九年の身分統制令である。これによって武家奉公人が無断で主家を離れて百姓などになることや百姓が耕作を放棄して商売や賃仕事にたずさわることが厳禁とされるなど、身分秩序を固定する役割を担った。しかし、百姓が武家奉公人になることについてはなんら制限がないことなど限定された内容であった。これは諸大名の軍事力編成に武家奉公人が不可欠な存在だったからでもある。

 このようにして中世社会的な身分制度が近世的な身分秩序へと移行していくために、これらの政策はお互いに関連しあい作用していったといえる。

 

課題 二 条約改正の過程を明治国家発展との関連において述べなさい。

 日米修好通商条約をはじめとする、オランダ・ロシア・イギリス・フランスとのいわゆる「安政の五カ国条約」は、当時の国力差を鑑みることなく自由貿易を定めただけではなく、治外法権(領事裁判権)を認め、さらに日本の関税を協定関税とするなど、およそ近代国家主権上問題のある不平等な条項を定めていた。

 1879年(明治十二年)、外務卿に就任した井上馨は、当初関税率増加を中心とする部分的条約改正を目指したが、1886年に内地通商の全面開放と治外法権・関税自主権の回復とを交換する全面的条約改正に方針を転換した。条約改正会議での交渉の結果1887年(明治二十年)には領事裁判権の撤廃のめどがついた。しかしそのためには欧米同様の法典を短期間で制定しなくてはならず、また井上が条約改正交渉を有利に運ぼうと、いわゆる鹿鳴館の舞踏会に代表される極端な欧化政策をとったことなどから、政府内外からの批判が相次ぎ交渉中止を余儀なくされた。

 次に外務大臣となった大隈重信は国別交渉方式をとり、外国人判事採用と法典編纂問題を条約正文から削ったが、条約外の約束としてこれらが盛り込まれており井上案と大差はなかった。しかも条約改正に慎重なイギリスとの交渉を後回しにしており実質的成果に乏しかった。その後ロシアのシベリヤ鉄道起工を警戒したイギリスが日本に好意的となり、青木周蔵・榎本武揚両外相は領事裁判権撤廃を主眼として対英交渉を行った。が、青木は大津事件で辞任し、帝国議会下で「民党」と対決していた内閣の消極姿勢で榎本の交渉は本格化できなかった。

 第二次伊藤内閣の陸奥宗光外相は「全面対等条約」を掲げ対英交渉を行った。しかし民党の改進党などが、「現行条約励行」すなわち外国人の国内旅行・通商の禁止事項を厳格に履行することで諸外国に条約改正の必要を自覚させるべき、という方針を掲げ議会の多数を占めた。しかし東学党の乱をきっかけに朝鮮出兵へと、日清戦争への緊張が高まる中、議会の情勢が変化し、領事裁判権の撤廃と税権の一部回復を内容とする「日英通商航海条約」の調印に成功した。

 残された関税自主権の回復は、1911年(明治44年)第二次桂内閣の外相小村寿太郎が、日露戦争後の日英同盟協約・日露協商を背景に日英・日米間の「通商航海条約」の調印に成功したことで達成された。

 

参考文献
『日本歴史大系3(近世)』 井上光貞 他 山川出版
『日本歴史大系4(近代1)』 井上光貞 他 山川出版

 

広告 戦国動乱と大名領国制 日本歴史大系〔普及版〕 7
    開国と幕末政治 日本歴史大系〔普及版〕 12
    明治国家の成立 日本歴史大系〔普及版〕 13
    明治憲法体制の展開(上) 日本歴史大系〔普及版〕 14
    明治憲法体制の展開(下) 日本歴史大系〔普及版〕 15
    近世 日本歴史大系 (3)
    近代I 日本歴史大系 (4)

 

講評

 努力のあとがうかがえるレポートです。一については、よくまとまっており、概ね課題の用件を満たしています。しかし、二については、条約改正と"明治国家発展"=近代化の関わりを具体的に述べて下さい。

科目修得試験に出題されそうなポイント

 

 スクーリングを受講し「スクーリング試験」で所定単位を修得したので、「科目修得試験」は受験していません。(^^;) 

 

 講義テーマ 〜未来を拓く歴史学をめざして〜  担当者  小形 利彦  (敬称略)
 講堂 法学部 本館  受講者数 約80名  夏期 後期 午前
スクーリングのノート (pdf ファイルです。)    
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